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ポーランドのヴァイオリニストとのセッション
先日、演奏会のお仕事でご一緒させて頂いたポーランド出身のヴァイオリニストさん。私が、ポーランドでシレジアフィルハーモニー管弦楽団さんと協奏曲を弾いた時に、ゲネプロで度肝を抜いてしまったあの感覚に久しぶりに触れた。
もはや、もう、音ではない。空間を往来する自然だ。そして、心に響く演奏。
やはり、生演奏と言われるが、まさに空間を表現することは生でしか受け取れない。
私が、海外で演奏でお仕事してきたときにとても、強く感じてきたことがある。
それは、私がとても大事にしてきたことでもある。
本に、「ポーランドや海外での演奏経験談」にも、色々なその部分について、深く、率直に述べている。
いろいろな考えや解釈が世に飛び交っているが、私はこの部分は核で大切なことであると思っている。
ポーランドにいると、自然の中にショパンがあり、自然と弾きたくなるのだが、ここ2年、日本にしかいないという、27年ぶりの事態に忘れかけていたものを、少し取り戻せた素敵な時間でした。
先生も先生に習うんです
パンデミック前まで、ヤシンスキ先生にリサイタル前は指導いただいていた。
バイオリニストの彼もそうだと言う。
子供の歳がたまたま同い年で、意気投合し遊んでいる。お互いの会話は英語だ。
そういえば、管弦楽団の団員さんと、楽屋で話す機会があった時に管楽器奏者の彼も同じことを言っていた。そして、七歳の息子さんにも会ったが、仕事場に連れてきている。こういう機会に触れさせて、将来音楽家にさせたいのだそう。
今では、自由に海外を往来できないが、以前は遠征などで色々な国に行く事もある。
ポーランドでは特に最近、子供に英語教育をさせるのだという。
うちの息子たちは、海外に行ったときにどこかに預けるときに困らないように、インターナショナルのような、英語のスクールに、幼少期だけ預けていた。
ポーランドでも、そういう幼少期は英語に触れさせるというスクールがどんどん増え続けていて、「英語を話せるようにする」というのは、主流で、値段もリーズナブルらしい。
本に、戦争を生き抜いた母とポーランド女性のエピソードも書いているが、私たちの音楽とのかかわりは、戦争と切っても切り離せない。
母と、ショパンが洗礼受けた教会、生家。家族で休日遊んでいたワジェンキ公園。高校生の時に住んでいた家。ショパンの心臓がある教会。ショパン博物館など、戦争の爪痕も残る彼の軌跡をすべて4日間くらいで回った。
3,4年前のことであるが今ではもう、あんなにアクティブに動けないと、親孝行の旅が出来て本当に良かった。
言語はほとんど英語で済ませてしまっていた。
現在は、英語というツールで会話ができるという新しい世代に突入している。
空襲のやけどの生々しい跡がある母は、とても新しい考えを持った人で、私にも英語教育をしてくれた。孫をインターに入れることにも、とても賛成し協力してくれた。
グローバル化が停滞しそうな世の中でも、英語教育は大切であると考える。
海外で仕事をするときに留意したこと
海外での働き方については、これもまた、本に述べたが、入らなかった内容としては、日本人が日本でお仕事をするときと、日本人が海外でお仕事をするときとでは、大分の違いがある。
日本では、謙虚を美徳とするため、あまりガツガツ自己アピールすると嫌がられる傾向にある。
逆に、海外では、ガツガツしないと、仕事を回してもらえない。
やはり、アジアでも日本人は一番モラルがあり謙虚である傾向がある。
子供達には、ガツガツ行ける子になって欲しいと思っていたが、遺伝子なのか、なかなか厳しい。
しかし、ポンっと幸運が入るのは、正直に向き合って生きているからだと思う。
ヤシンスキ先生も、気に入ってくれて、色々熱心にしていただいたが、真摯に向き合うというのは、どの分野においても人の気持ちを動かすことができるのだと思う。
子供達にもそういうことを是非、学んでほしいと思って、反抗する年頃までは仕事場に連れてっている。
「百聞は一見に如かず」
親の仕事場風景を垣間見せることは、海外ではする人が多いのだか、日本は、父親の仕事場に行ってはいけないという風習もある気がする。
私は、海外のいいところは見習って、夫の仕事をする姿を時々子供たちに見せて(見せれる職業という利点をいかし)、父親の偉大さにも触れさせている。